投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR] バイト群馬 ハワイパッケージツアー 群馬の求人・転職 seo チャーター便
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全78件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  |  《前のページ |  次のページ》 

判決でましたね

 投稿者:たろう  投稿日:2004年 4月20日(火)21時19分9秒
  学内自主団体、解散権は大学に…岡山大訴訟で最高裁

 岡山大学(岡山市)の課外活動を支援する組織だった旧学友会の元嘱託職員の男性(64)が、大学当局による同会解散に伴って解雇されたのは不当として、同会に雇用契約の確認と未払い賃金の支払いを求めた訴訟の上告審判決が20日、最高裁第3小法廷であった。

 浜田邦夫裁判長は、「大学は、サークルなどの課外活動を推進する団体を指導する権限と責務があり、団体運営の改善が困難な場合は解散を決定できる」と述べ、解雇は無効とした2審判決を破棄、男性の請求を棄却した。

 大学内で自主運営されている団体について、解散させる権限が大学当局にあるとした最高裁の初判断となった。

 岡山大の旧学友会は、学生や教官らの親ぼく団体で、所属するサークルの活動を支援する事業を行っていた。

 判決によると、この男性は、同大講師だったが、1973年に懲戒免職となり、75年から同会の嘱託職員になった。その後、男性は学友会を実質的に取り仕切るようになり、大学当局は95年に同会を解散。これに伴い、同会は男性を解雇した。その一方、大学当局は新たに「校友会」の設立を承認。男性は解雇を不服とし、95年提訴した。

 判決は、旧学友会が大学当局に設立を承認され、学長が会長を務め、事務室も大学構内に置くなど、大学当局と密接な関係がある団体である点を重視。男性の影響力が強かった旧学友会の解散は適法とした。

 2003年2月の広島高裁岡山支部判決は、請求を棄却した岡山地裁判決を覆し、「旧学友会は大学から独立した団体で、大学に解散の権限はなかった」として、雇用契約の継続を認め、旧学友会に約480万円の支払いを命じていた。(読売新聞)
[4月20日13時49分更新]

<学内組織>「大学に解散権」 最高裁が初判断

 岡山大学の全学生や職員らで組織していた学内団体「岡山大学学友会」(岡山市)が大学によって解散させられたのに伴い、解雇された元嘱託職員の男性が、大学側に雇用関係の確認などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(浜田邦夫裁判長)は20日、大学側敗訴の広島高裁岡山支部判決(昨年2月)を破棄し、男性側の請求を退ける判決を言い渡した。男性側の敗訴が確定した。

 学友会は文化・体育の学生サークルに、学校からの補助金を分配するなどの支援をするため、1949年に設立された。大学の承認を受けた法人格のない学内団体で、大学にこうした組織の解散権があるかどうかが争点となった。判決は「(団体の活動状況が)承認時の趣旨に反しており、改善も困難など相当な理由がある場合は、大学は解散を決定できる」とする初判断を示した。

 学生サークルと大学側が「介入」を巡り衝突するケースは全国で見られるが、一定の条件の下で大学側に解散権を認めた判決は、こうしたトラブルを抱えた現場に影響を与えそうだ。

 学友会の運営は、学生の手に委ねられる傾向が強かったが、「男性の関与が強まり、学生の自主性が阻害された」として、大学側は95年、会を解散し男性を解雇した。

 判決は、学校教育法の規定から「大学は課外活動が円滑、効果的に行われるよう指導する責務を負う」との見解を示した。そのうえで▽学友会会長は大学長▽事務室が構内にある――など会の特徴も踏まえ、「課外教育の一環から、大学側が学友会のあり方を是正したのは当然であり、男性の解雇も違法とは言えない」と述べた。

 1審・岡山地裁は01年、男性敗訴の判決を言い渡した。2審は逆転判決だったため、大学側が上告した。【小林直】(毎日新聞)
[4月20日12時50分更新]



 

(無題)

 投稿者:副委員長  投稿日:2004年 2月 7日(土)06時01分39秒
  ちなみにNUTSは学友会時代からNUTSです。堂々の校友会設立メンバーサークルです。  

2003年卒業生様

 投稿者:副委員長  投稿日:2004年 2月 6日(金)00時41分8秒
  NUTSは新聞会が名前を変更したものです。
下記に言う新聞会が(旧)新聞会がNUTSに改称した後、地域問題研究会が(新)新聞会に改称したものです。書きながらややこしい話と思いますが…。
 

新聞会とNUTS

 投稿者:2003年卒業生  投稿日:2004年 2月 3日(火)23時55分24秒
  はじめまして。時々覗いております。
記述の詳しさに頭が下がります。
ところで、副委員長様、直ぐ下の書き込みを読みましたが、
今のNUTSと新聞会とは系譜的な繋がりは無いんでしょうか。
もしそうであれば、NUTSはそれまでの歴史とは関係なく、途中から
校友会に加入した、ということになりますが…。
 

その後の校友会

 投稿者:副委員長  投稿日:2004年 1月 9日(金)23時11分40秒
  土屋様、ごぶさたしております。新聞会問題ですが、私の卒業後の話になります。校友会は成立時に現代思想研究会・考古学研究会、エスペラント部、教授学生交流会、人形劇部、YMCA 、地球人クラブ、新聞会を加盟させませんでした。そのうち新聞会が加盟を認めないのは不当だということを文化会総務に訴えました。文化会はそれは体育会が認めないからだと答えたので、新聞会関係者は体育会幹事会に乗り込みました。新聞会は加盟を主張しましたが、校友会公認資格要件にある学生3名以上を満たしていないという理由でそれを却下しました。その後、校友会総務協議会(文化会・体育会総務で構成)校友会幹事総会(文化会・体育会全幹事で構成)においてもさらにそれは認められないという決定が下されました。決定を覆すには全学総会(すでての学生が1票の権利をもつ)においてその決定を覆すしかありませんでしたが実質学生0名であった新聞会にはその力はなく、新聞会は学生史の舞台から降りることになりました。この事件を機に第2代の文化会・体育会は協力関係を強め、文化会総務委員長が体育会の幹部研修会に招かれるなど両者の信頼感は格段にアップしました。以後文化会総務委員会室・体育会総務委員会室の合併などで部室不足を補うなど校友会として一致する難局には協力して乗り越えるという体制が強まりました。  

「新聞会問題」

 投稿者:土屋 勝  投稿日:2003年12月25日(木)16時42分56秒
  今年もそろそろ終わりですね。
ちょっと古い記事へのコメントですが、副委員長が書かれた”校友会成立後の
「新聞会問題」”とはどんなことがあったのでしょうか?

http://www.erde.co.jp/~masaru/

 

農学部14年度入学生様

 投稿者:副委員長  投稿日:2003年 8月15日(金)10時05分10秒
   学友会・校友会の歴史に興味をもたれる方がでてきてうれしいです。「崩壊の軌跡」に関しては学友会・校友会の歴史のある断面としてみていたがくのがよろしいと思います。特に学友会の歴史についてはまだまだ多種多面の見方ができると思います。「83総務ストライキ事件」「BOX問題」「プレート問題」等、割愛している部分も多々あります。また校友会成立後の「新聞会問題」「二部武道場問題」など、その後の校友会についてのことにも触れていません。いろりろな側面、立場からのアプローチがあると思います。
 学友会・校友会の歴史に関しての疑問・質問・事実関係に関してはメールでもこの掲示板においても私の知っている範囲のことはなんでも情報提供しますのでご参考にしてください。
 

(無題)

 投稿者:農学部14年度入学生  投稿日:2003年 8月14日(木)23時40分8秒
  岡山大学農学部14年度入学生です。
学友会・校友会の歴史について興味があり、調べていたところ、このサイトに通りかかりました。
決して「事実のみを淡々と」と感じられるサイトではなかったですが、見解の一つとして参考になりました。
自分なりの見解をまとめられるよう、調査を進めようと思います。
 

>>坂本氏の存在

 投稿者:副委員長  投稿日:2003年 7月 1日(火)10時12分57秒
   坂本氏の存在とその岡山大学へに影響についての歴史的判断は非常に難しいと思いますね。それがプラスであったかマイナスであったかは、人によって判断は異なるでしょうし、永遠に答えのでない問いであるかもしれません。ただひとつ言えることは「坂本氏が存在したこと」は岡山大学の歴史を刺激的なものにしたということだけは、はっきりいえると思います。この刺激や摩擦が時には大きなエネルギーとなり他大学にはない、ある種、特殊な歴史を岡山大学に刻んだのだと思います。
>>やくも少年様、そのご友人の方も坂本氏の存在のためにかなり影響をうけてしまったひとりですね。(笑い)
 
 
 

坂本氏という存在

 投稿者:土屋 勝  投稿日:2003年 6月16日(月)17時27分56秒
  1976年入学のぼくにとって、小坂学長というと小坂淳夫氏です。「5・1学長告示」な
んてのもありました。

ところで、教養部の坂本氏処分から30年になるわけですが、彼が岡大に与えた(過去形
で済ませられるのかわかりませんが)影響って大きいですね。
懲戒解雇処分に対する教養部バリケード封鎖とその敗北は中心的活動家たちの学内運動
放棄から政治闘争、武装闘争への「逃避」としてのマル青同への集団加入となり、それが
岡大拠点化、寮襲撃・大澤君虐殺をもたらしました。
5・25襲撃によって新寮建設がストップし、結局、82年の入寮募集停止決定となります。

また、解雇処分への抗議として行われた学友会事務職員雇用は、世代交代と学生側のふがいなさもあって坂本氏の暴走を止められず、結果として学生自主
管理であった学友会をつぶされてしまったわけです。

歴史に「if」はありませんが、もしも坂本氏が岡大に赴任してなければ、もしも「普通」
の人だったら、70年代以降の岡大はかなり変わっていたことでしょう。
とっくに馬場の横に新男子寮が建っていただろうし、グランド端の慰霊碑もなかったはず。
学友会や津島祭はどうなっていたかな?

http://www.erde.co.jp/~masaru/

 

以上は、新着順31番目から40番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  |  《前のページ |  次のページ》 
/8 


[PR]